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2011年3月16日水曜日

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今日は素敵な話題をひとつ。
以前私たち阪神大震災経験者だとお伝えしましたが
その神戸から。

長田支えた南三陸の仲間へ 思い続けるつり銭募金  神戸


 神戸市長田区にある大正筋商店街の矛者天国の真ん中に、東日本大震災の募金箱がある。「神戸はお世話になりました。お買い物された釣銭の一部をご協力願います」そう書かれた箱が、たくさんの硬貨や紙幣で満たされている。
 募金箱は、商店街振興組合の副理事長を務める伊東正和さんが13日に置いた。1995年の阪神大震災で9割の店が焼けた大正筋で店を構えているから、だけではない。被災地に友がいる。
 99年から始まった、全国の商店主らが環境にやさしい街づくりのために集まる全国リサイクル商店街サミットで、宮城県志津川長の商店主らと知り合った。2002年は長田、05年は志津川が会場だった。
防災も毎回のテーマになり、伊東さんは震災経験と復興の足跡を、志津川の仲間は津波への備えを語ってきた。
志津川町では至る所に津波の想定波高を示す標識があり、津波避難場所と表示されたビルがあった。志津川の実行委員長であったギフト店主の昆野慶弥さんは「うちは避難訓練を夜中にやる。お年寄りを誰が避難所に連れて行くかまで決めてるんだ」と、誇らしげに津波避難マップを見せてくれたという。
 05年。志津川町は合併で「南三陸町」に名を変えた。
町民の半数の安否が不明になった町である。
 地震直後、彼らなら大丈夫だと思っていた。だが、電話がつながらない。テレビに映し出された南三陸町は、伊東さんが目にした避難ビルは何もかもがなくなっていた。
 伊藤さんのところには、次々と知人から支援の相談がある。何を送ればいいか。その度に「送れる物のリストを作って、欲しいと言われた時にすぐ送れるようにしておいて。今はおけ名が一番だよ」と諭す。そして、店の前に募金箱を置いた。
 16年かかっても、長田はまだ再開発事業が続いている。被災地に息の長い支援が必要なことは、自分たちが一番よく知っている。
 だから、伊東さんは「釣銭募金」を呼びかけた。千円札を1回入れて満足するのではなく、小銭でも良いから何ヶ月も何年も続ける。かの地を思い続けることが、被災者の力になる。震災から10年経っても。15年経っても、西日本に来るたびに長田に立ち寄って「頑張ってるな」と声をかけてくれた昆野さんたちが、自分を支えてくれたように。
 あるとき、髪を染めた中学生4人組が募金箱の前にやってきた。店にいた伊東さんが(悪さをせんやろな)と心配していると、ポケットから小銭を取り出したという。
 「あんな子らまで、日本中が頑張れ、負けるなっておもっとるんや。頑張ってくれ。立ち上がってくれ」
 さっきまで熱っぽく支援を訴えていた伊東さんが、ぎゅっと目をつぶった。
ぽろぽろと、涙がこぼれた。
★★★★★

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